道三の手紙

斎藤道三が娘婿である信長を気にかける手紙が見つかったというニュースが今日の朝一番に目に飛び込んできた。

手紙の中身はまるで本物の親子のように道三が若き信長のことを末長く世話して欲しいと近隣の領主に頼んでいる。

 

道三と信長といえば、聖徳寺で初めて2人で会う際、事前に密かに見た時にはうつけの格好をしていた信長が対面時には正式な礼装で現れたので道三がその器量を見抜き感心した、というエピソードが有名だ。 

 

SNSで見かけた自称研究者には、発見された手紙は父信秀亡き後の織田家の権威が同盟の要である義理の息子に渡るよう力関係を考慮して書いただけのものと語る人もいたが、後世からの視点で見るとこの道三-信長のダイナミクスはPaiderastiaとまではいかないにしても、結構面白い。

 

有識のある老成した実力者と、強い理解者を求める若き闘志の出会いには常にロマンがある。

一説にはこの手紙は聖徳寺の対面の少し前に書かれているらしい。

手紙によると相手と信長は親しい間柄のような

ので、ひょっとしたら信長の耳にも件の手紙が届いたという話が入っていたかもしれない。

義父の心遣いの文に思うところがあった信長が死んだ父親の葬儀すら正装をしなかった正装で面会に向かい相手の心を掴んだというパースペクティブは、文学的で美しい情景になるのではないだろうか。

あるいは下剋上の過酷な時空を生き抜いてきた道三には当初から信長のうつけ姿に家臣や近親では理解できない何か野心を感じ期待を抱いていたかもしれない。

たった一枚の手紙から無数の心象が想定できそうだ。

 

信長は地元の人物ということもあり、私が人生で最初に知った「権威の象徴から最後は個人に失落」した存在の1人である。

第六天魔王でも何でもない、首を切られ焼かれたら死ぬ人間なのだから、父やお守りの平手を次々失った後で天下だなんだの前に味方が欲しいと思っているに違いないのである。

そして信長が人間であれば道三だって当時齢50を過ぎた人間である。

いつでもどこでも嫁の娘の前でも実の父の葬儀の前でもだらし無いうつけの姿をしている男が自分との対面時だけ正装して格好良く決めてきたら気分も高揚し"アイツは分かってる"なんて言っちゃうものである。

単に政治の力学だけで人が立ち回っていたと思うのはそれこそ大雑把すぎる歴史観なのだ。

 

真実や意図など最早誰にも分からない。

手紙は偽物で、聖徳寺のエピソードだって嘘っぱちかもしれない。

今私たちが語れるのは、道三と信長の関係に人が何か具体性を付加したくなる面白みがあるということだけだ。

 

 

道三はその後実の息子と対立し討死している。

いよいよ明日決戦となる前日に書いたとされる遺言状には、最早これまでという想いと共に、なんと婿の信長に宛てて自国である美濃の土地を全て譲ると書いてあるのだ。

余りにも都合の良い内容のため信長の美濃侵攻の大義名分作りの偽書だろうと言われてもいるが、火のない所に煙は立たず、道三がそのように書いてもおかしくはないと周囲に思わせる空気が2人の間にあったのだろう。

実際に道三亡き後信長が立場を失い、苦戦の日々を送るのは確かだ。

彼が亡き義父の遺言のとおりに美濃の国を平定できたのは、道三の死からおよそ10年も後の話である。